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おやじの影響
【 おやじは道楽息子 】
私のモノへの想いを語るなら、おやじの話は
避けては通れないことです。
数年前に他界した私のおやじを批判したり揶揄する
つもりはまったく無いのですが彼は若い頃、
かなりの道楽息子だったようです。(亡き祖母談)
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昔、私の祖父母の興した商売が非常に順調な頃に青春を過ごしたおやじは、
欲しい物は何でも手に入れていたフシがあるのです。
亡き祖母(おやじの実母)が、商売が忙しいからお金を渡して好きにさせていた、
育て方が間違いだったと、しきりに反省していましたっけ。
やれ「市内に数台しか無い外国製の車を乗り回していた」だの、
私が生まれた頃に「近所の写真館から貸してくれと頼まれるような
高価なカメラを持っていた」だのと、祖母が(批判的に)話していました。
得意になって人に貸してやるもんだから、私の写真はロクに撮らないうちに
壊れてしまったらしいのですが(笑)
私が物心つく前に、ある事情で我が家は没落してしまったのですが、
若い頃培われた、おやじのいいモノを欲しがる性格は変わらなかったようです。
ただ残念なのは、自慢げに他人に貸すことはあっても、
家族には決して触らせないという基本方針を持っていたことです。
私が生まれる前、弟(私の叔父)が長男であるおやじの目を盗んで蓄音機を
使った時は、こっぴどく怒られたと言っていました。
この基本方針は息子である私に対しても変わるものではありませんでした。
小学生の頃、授業でレコード(CDが出来るずっと前です)を聞くことがあり
先生が「誰かレコードかけて下さい」と言うと、一人の友人が前に出て小さな
プレーヤーにのせたレコードに針をおろすのですが、それを見ている私は、
そんなことを簡単にやってのける彼はスゴイと思っていました。
でも実は、我が家にはおそろしく高級なコンポーネント・ステレオがありました。
おやじがレコードやテープ(オープンリールのテープレコーダーも装備していたの
です。なんて贅沢!)をかけて満足そうに聞いているのを見ていた私は、
もちろんそのステレオには指一本触れさせてはもらえなかったのです。
普通のサラリーマンだったおやじは家族に内緒でカメラや腕時計、若い頃から
好きだったバイク、会社で参加していた海釣り部で使う釣具など、いろいろと
買っていたようですが、確かなのは安物はひとつも無かったことです。
車も大好きで、機械いじりも好きだったのですが、さすがにサラリーマンの身なので
高級車を買えるわけは無く、それでもこだわりのあったスバル車ばかり、2〜3年
ごとに乗り換えていました。ついでに車いじりに使う工具類も完備していました。
スバル360に始まり、スバル1000、FF−1、レオーネ数台と次々に換えた
ので、幼かった私の記憶に最も残っているのは最初のスバル360だったりします。
その他の車にも乗っていたはずですが非常に印象が薄いのです。
カメラも私の記憶に残っている最初のものは、ミノルタのX−1という大きな
一眼レフでした。後で知ったのですが、なかなかの名機です。
その後、ニコン党になったようですが、当時の最高峰F−3を手に入れたのは
言うまでもありません。
これまた若い頃から好きだった腕時計もいろいろ買ったようですが、最後には
ちゃんとロレックスまで到達していました。
【 基本方針の違い 】
こんなモノ好きなおやじでしたが、やはり基本方針は変わらず、大切なカメラを
扱わせてもらう機会は、私が社会人になってもありませんでした。
この反動なのか、親になった私の基本方針は、子供が興味を持てば、使い方を
丁寧に教えて何でも好きなように使わせるということにしています。
カメラでもオーディオでも、自分で自由に使えるものを手に入れたのは
私が就職して自分で買える様になってからでした。
カメラや写真の知識がついてきて車も運転するようになると、私とおやじとの
共通の話題が多くなってきて気付いたことですが、どうも私のおやじはモノを
使うことより所有することが趣味だったようなのです。
何かを買おうとする時、調べて比較したり使い方を考える楽しみは誰にでもあるの
でしょうが、おやじは買ってしまうと、後は大切に仕舞い込むような人でした。
カメラは最高級一眼レフなのにレンズはあまり持ってなかったり、高級機にしか
付いていない機能と使い方を理解していなかったり、車も雨の日は汚れたり痛むから
極力乗らない、などなど・・・
「道具は使ってナンボ」主義の私には理解しがたい部分がありました。
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父はこんなおやじでしたが、
私の嫁サンに言わせると「血は争えない」そうです。
私のモノ選びは
「機能優先、高けりゃいいってもんじゃねえ!」
「必要かつ十分な性能のものを安く買うのだ!」
という姿勢なので、すこし違うと思うんですけど・・・ |
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